東京高等裁判所 昭和41年(行ケ)104号 判決 1972年2月29日
原告
安田誠一
右代理人
渡辺昇治
馬瀬文夫
岸本芳夫
被告
平安伸銅工業株式会社
右代理人
吉田朝彦
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一<略>
二本件審決を取り消すべき事由の有無について検討する。
(一) 原告の四の(一)の主張について
被告(本件実用新案の登録の無効審判請求人)が本件実用新案の登録無効審判の請求に関する書面中で、本件登録実用新案は「旧実用新案法第三条第二号に該当し、同法第一条の登録要件を欠如するものであるから同法第一六条の規定により無効とせられるべきである」旨主張したことは、当事者間に争いがない。しかしながら、いずれも成立に争いのない甲第二五号証(被告が昭和三七年二月二四日付で特許庁審判長に提出した理由補充書)および甲第三号証(登録実用新案第六六六〇八号の公報)を総合すると、被告は、右理由補充書中で「本件実用新案がその出願前公知であつた戸車用レールから容易に実施し得るもので新規な考案を構成するものでないことを立証するため登録実用新案第六六六〇八号公報(甲第一号証)(本件の甲第三号証)……を援用する」および「又本件実用新案は甲第一号証に於けるゴムを単に「ビニール等の合成樹脂」としたに止まりビニールが従来のゴム、エボナイト、ベークライト硝子、金属等に代る新材料として出現した場合ゴムをビニールに代えるごときは商品の品質向上を心掛ける当業者が当然行なうべき材料変換で考案力を要しない公知材料の選択使用にしか過ぎない」と述べていることが認められる。そして、この無効審判事件につき、本件審決は、すでに認定した本件審決理由の要点のとおり認定判示しているのである。したがつて、本件審決に法律の適用を誤りまたは審決の理由を示していない等の違法があるということはできない(なお付言するに、旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号)のもとにおいても、無効審判請求人が審判請求書に理由を記載しなければならないことはいうまでもないが、適用法条の指摘は要求されておらず、審判請求人がこれを記載したとしても、一般的にはそれは便宜のためのものに過ぎず、したがつてまた、審判官がこの記載に制約を受ける筋合いのものではない(旧実用新案法第一六条、第二六条、旧特許法条第八六条参照)。また、いわゆる公知文献から当業者が容易に推考しうる考案は、旧実用新案法下において、同法第一条の規定による登録要件を具備しないものと解すべきである。) (二) 原告の四の(二)の主張について
本件審決が引用例に「適宜断面形状の金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で緊密に被包して成る戸車用レール」が記載されていると認定したことは、当事者間に争いがない。原告はこの認定を目して引用例の認定を誤つたものであると主張するのであるが、この主張は、次にのべるところにより採用することができない。
1 成立に争いのない甲第三号証(引用例)によると、引用例の公報の「登録請求ノ範囲」の項には、「適宜断面形状ニシテ心材(3)ヲ有シ所要距離ニ取着孔(2)ヲ具フル護謨ニテ作ラレタル戸滑り護謨「レール」ノ構造」なる記載が、またその「図面ノ説明」の項には、「本案ハ護謨ニテ作ラレタル戸滑り「レール」(1)ニシテ布、金属条等ノ心材(3)ヲ有シ其形状ハ断面弧又ハ方形等使用ノ便ニ応シテ適宜ニ作ラルヘク所要距離ニ取着孔(2)ヲ具ヘテ成ルモノナリ……本案ノ如ク心材(3)ヲ有スル護謨ニテ作リタルモノ……」なる旨の記載があり、かつ、別紙第二のとおりの図面が添付されていることを認めるに十分である。これによると、心材の大小厚薄または形状は別として、引用例には金属の心材の周囲に厚いゴム層を所在させたレールが記載されており、これを換言すれば、「金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で被包して成る」戸車用レールが記載されているということができる。この点に関し、原告は、引用例の戸車用レールの本体は心体ではなくゴムであり、引用例は芯体の周りをゴムで包んでいるというものではなく、本体であるゴムレールの内部に布、金属条等の心材を介在させたものに過ぎないとして審決の叙上認定を攻撃する。しかし、審決は金属心材またはゴムのいずれを戸車用レールの本体と呼ぶべきかを断定しているわけではないから、この点を審決非難の根拠とすることは失当であり、また、物品の構造に関する考案にかかわるもので構造を作出する方法の問題に関するものでないこと自明な本件にあつては、芯体の周りをゴムで包んでいると称するかゴムレールの内部に心材を介在させたものと呼ぶかは単なる表現上または修辞上の相違に過ぎず、要するに、引用例は内部に金属心材を、その外部にゴムを所在させた構造の戸車用レールを開示しているとみられるのであり、本件審決の叙上認定もこの趣旨を表現したものにほかならないと理解すべきである。さすれば、原告の叙上主張は採用の限りでないといわなければならない。
2 つぎに、原告は、引用例は審決のいうように金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で「緊密に」被包するという考案を開示したものではないと主張する。この点について考えるのに、なるほど、前掲甲第三号証に「緊密に被包する」という文言の存在しないことは被告も争わないところである。しかし、成立に争いのない甲第一号証から甲第三号証までによると、審決が引用例に「金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で緊密に被包して成る戸車用レール」が記載されているとした認定中における「緊密に」被包してというのは、本件登録実用新案の登録請求の範囲中における「緊密に」被包してというのと同趣旨に用いたものと解するを相当とすること、本件登録実用新案における実用新案の説明および登録請求の範囲中に右にいう「緊密に」被包してという要件が被包につき常識的に考えられるところは異なつた特殊の方法を用いて構成したものであることをうかがうべき記載は全くなく、したがつて、右にいう「緊密に」被包するとは通常の常識的意味に用いられているものと解するほかないことを認めることができ、この認定を左右する証拠はない。そして、通常の常識的意味における「緊密に」被包するというのは、内部に所在する物とその全周囲に存在する物との関関係位置において隙間がなく密接していることを指称するものであることは当裁判所に顕著であり、他方、前掲甲第三号証によると、引用例の図面には、心材の周囲にゴム層物質が間隙なく密接して所在する状況が図示されていると認められないことはない。さすれば、本件審決が引用例に芯体の周りを厚いゴムの被覆体で「緊密に」被包して成る戸車用レールが示されていると認定したことを誤りであるとすることはできない。
3 成立に争いのない甲第一号証を検討すると、本件審決の引用例の認定にいう「適宜断面形状」なる文言が当然に金属芯体を修飾するもので戸車用レールにかかるものではないと断定すべき理由はない。のみならず、審決の「適宜断面形状」なる文言が金属芯体を修飾する趣旨において用いられたものであり、この点において審決が引用例の認定を誤つていると仮定しても、前記甲第二、三号証によると、引用例にもその全体的形態において本件登録実用新案にかかる戸車用レールと同様な断面形状の戸車レールが示されていることが認められるから、叙上の誤りは、引用例と本件登録実用新案との対比検討の結果に影響を及ぼすものではない。
4 そうすると、本件審決は、引用例の記載事項についての認定を誤り、かかる誤つた認定に基づいて本件登録実用新案との対比検討を行なつた結果として本件登録実用新案の新規性および進歩性の判断において誤つた結論に到達したもので違法であるとする原告の主張は理由がないものといわなければならない。
(三) 原告主張の四の(三)の主張について
本件登録実用新案の考案の要旨が「金属製のレール芯体(1)を厚いビニール等の管状形成体(2)で緊密に被包して成る戸車用レールの構造」にあることは、当事者間に争いがない。そして、他方、引用例に「弧形又は方形等適宜断面形状の金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で緊密に被包して成る戸車用レール」が記載されていると認めてさしつかえないことは、すでに判示したところによつて明らかである。
そして、成立に争いのない甲第四号証によると、ビニール系樹脂の性質および従来ゴムを用いていた工業分野においてゴムに代えてビニール系樹脂を用いることは、本件登録実用新案の出願前、当業者に周知であつた事実を認定することができこの認定を左右すべき証拠はない。
そうすると、本件登録実用新案における金属製のレール芯体をビニール等の管状形成体で緊密に被包すること、換言すれば金属芯体とビニール等とを組み合わせることにより、ビニール等の本来の性質に由来する作用効果とは異なる格段の作用効果または引用例における金属芯体の周りをゴムの被覆体で緊密に被包すること、換言すれば金属芯体とゴムとを組み合わせることによつてはえられない格段の作用効果を奏しうることが認められないとするならば、本件登録実用新案は、審決の判示するように、引用例に記載されている戸車レールにおいてゴム部分をビニールまたはその均等物に置換したものに相当し、かつ、このような置換は当業者の格別考案力を要することなく容易になしうる材料変換に過ぎないものといわなければならない。
そこで、以下において、本件登録実用新案に右にのべるような格段の作用効果の認めるべきものがあるかどうかについて検討する。
1 原告は、本件登録実用新案にかかる戸車用レールにあつては、ビニール等の熱伝導率が小であるため日光の直射を受けてもレールの表面がいちじるしく高温となることがなく、かつ、加熱による線膨脹率に大きな差異のあるビニール等と金属芯体との組み合わせにより高熱を受けてもレールの伸延反曲を生ずることがない作用効果を有する旨主張する。
なるほど、本件登録実用新案の公報によると、その「実用新案の説明」の項に、「本案品を敷居に取着け使用する場合、之に日光が直射することあるも、表面の厚いビニール等の管状形成体2のみが直接加熱せられるので、管状形成体2の中心部の金属レール芯体1は日光に直射されないし、ビニール等の管状形成体2は材質的に熱の伝導性が小であるから、その熱が金属レール芯体1に伝導することが少く、従つて管状形体2が膨脹し延びんとしても、中心の金属レール芯体1は膨脹することがないから、全体としては延びることがなく、従来の戸車用金属レールの様に直射日光熱による膨脹の結果反曲して戸車の運行に当り戸車が外れることがないし、又之に触れたとき火傷する程熱くなることもない」との記載があることが認められ、したがつて、本件登録実用新案の戸車が叙上のような用効果を有することを肯認しえないわけではない。しかし、一方、引用例に「……金属芯体の周りを厚いゴムの被覆体で緊密に被包して成る戸車用レール」が記載されていると認めてよいことは前述のとおりである。そこで、試みに両者における金属芯体をいずれも鉄とする場合をとり、塩化ビニールおよびゴムの線膨脹係数および熱伝導率と芯体である鉄の線膨脹係数および熱伝導率との対比関係を考察すると、おおむね、
であることを認めることができる。換言すれば、鉄芯材と塩化ビニールとを組み合わせたものにおける線膨脹係数比および熱伝導率比と鉄芯材とゴムとを組み合わせたものにおける線膨脹係数比および熱伝導率比とは、全く同一とはいえないが、両者の間にさしたる差異はないものと認められる。この事実によると、戸車用レールが直射日光等表面に高熱を受けた場合におけるレール表面の熱さおよびレールの伸延反曲性の点において、金属芯材とビニール等を組み合わせた戸車用レールと金属芯材とゴムとを組み合わせた戸車用レールとの間に著差はないものと推認するのを相当とする。よつて、前者がその組み合わせにより後者に見られない格段の作用効果を有する旨の原告の主張は、これを採用するに由なきものといわなければならない。この点に関連して原告の援用する甲第一一号証および甲第一五号証はビニ鉄レール、ビニールレール、鉄レールおよび真鍮レールを対象とした実験の報告書でゴムで被包したレールを含めての対比実験を含むものではなく、甲第一八号証および甲第一九号証はビニ鉄レール、アルミ芯入りゴムレールおよび布芯入ゴムレールについての比較実験に関するもので同種の金属芯材をそれぞれビニールおよびゴムで被包したレールについての比較実験でなく、甲第二三号証はビニールレール、ビニール鉄芯入レール、黄銅レールおよび鉄レールについての比較的実験に関するものでゴム被包レールを加えて対比したものでなく、さらに甲第二四号証ではゴム鉄芯レールおよびビニール鉄芯レールについての比較実験上認められる差異がゴムと鉄芯およびビニールと鉄芯との組み合わせの差異により生じたものであるのか、またはゴムおよびビニールそれぞれの物質の固有の性質の相違により生じたものであるのか甚だしく明確を欠き、いまだもつて前叙認定をくつがえし、原告のこの点に関する主張を確認する資料となしがたい。他に先の認定をくつがえし、原告の主張事実を認定するに十分な証拠はない。
2 また、原告は、本件実用新案にかかる戸車用レールは錆を生せず、戸の運行の際における轢音が少なく、かつ管状形成体を無色透明または任意に着色して特殊な美観を呈する戸車用レールをうるという作用効果を奏するとも主張する。しかし、錆を生じないとか使用に当り轢音が少ないとかいう作用効果は金属芯材をゴムで被包した戸車用レールもまたこれを有することは、当裁判所に顕著なところである。のみならず、これらの作用効果およびビニールを無色透明または任意に着色してレールに美観を呈せしめるという作用効果は、ビニールがビニール自体として有する固有の性質に基づくものであること、ひいて、これらの作用効果はビニールと金属芯材との組み合わせによつてはじめて奏せられるものとはいえないことを推認することができる。
3 そうすると、金属芯体とビニール等を組み合わせることにより、金属芯体とゴムとを組み合わせたものによつてはえられない格段の作用効果があると認めることはできない。
したがつて、本件登録実用新案は、引用例に記載されている戸車用レールにおいてゴム部分をビニールまたはその均等物に置換したものに相当し、かつ、かかる置換は当業者が格別考案力を要することなく容易になしうる材料変換に過ぎないとした審決の判断は違法とはいえない。
かりに、引用例の考案は実施されそれが市販されたという事実がなく、他方、本件登録実用新案の実施品が市販後直ちに多大の需要を呼び、戸車用レールの市場需要の大半を制したという原告の主張が真実であるとしても、かかる事情は叙上の認定判断をくつがえすほどのものではない。
三、以上のとおりで、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(服部高顕 石沢健 奈良次郎)